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26、3 宗聖が小百 ...
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宗聖が小百合に起こされて、無理やり押し付けられた約束を果たすために小百合の店に入ったのは、夜9時を過ぎた頃だった。
7~8人で一杯になるビルの中の小さなバー、小百合の店は客でにぎわうことはない。排他的な店構えは善良な人々を遠ざけ、出入りするものもいたって堅気には見えないことから、近隣の店でも小百合の地位を知らない人間は遠巻きにしていた。最も小百合は店を繁盛させようなんて思ってはいない。
常に誰かが何かを補充しており店の用を成している。それぞれの連絡の場所でもあり、中継点でもある店は昼間小百合の家にいた郁美という男が普段は切り盛りしていた。
小百合は夜中あちこちの店を渡り歩き、様子を伺いながら自分の店に戻るのはいつも夜半だった。
その間、郁美があらゆる要件をこなし、必要と思われれば小百合に連絡を取る。問題だと思えば小百合はその情報をもたらしたモノを別の店で出迎え、情報を吟味しては支持を下す。小百合はまさしく夜の蝶であった。夜な夜な鎌倉の繁華街を徘徊し、情報を仕入れてはそれをばら撒き、問題を見つけては処理し、ヒラヒラと辺りを見まわした後に自分の巣に戻る。
宗聖の店には、小百合の店が近いこともあり小百合が徘徊の最後に立ち寄ることが多く、宗聖も時折、小百合に引っ張られて小百合の店でくつろぐことがあった。宗聖が力を抜いてくつろげるのはそこしかなかったとも言える。
宗聖を迎えたのはカウンターに入っていた郁美だった。
背は低くはないがかなりスレンダーな体型で、そのくせ髪を長く伸ばしていて、襟足でまとめられた髪は背中の中ほどまで届いている。その髪は明るすぎる栗色で、染めていないことだけはわかった。ハーフなのかクォーターなのか髪と同様肌の色も幾分白い。純粋な日本人とは言い難い目鼻立ちのすっきりした顔立ちは、2枚目と言うよりははかなげな美人と言う形容詞が似合う不思議な男だった。細身ではかなげとくれば、どんな男も馬鹿にしたくなる、あるいは鼻につくタイプの筈なのに、誰も郁美をさげすむようなことはない。小百合の店なのだから当たり前だと思うのは図に乗りすぎるというもの。
たとえ小百合がカウンターの内を許したとしても、周囲がそれを受け入れなければ、あっという間に追い出される。そんな小百合の組織の中にいて、郁美は誰一人と揉めることもなく、淡々と店を守った。
郁美の何か人間らしからぬ佇まいが周囲のもの達に不思議なオーラを投げかけている。
郁美を30前後とみていた。宗聖よりは年上に見えた。夜の噂は郁美を小百合の恋人とも息子ともいう。だがそのどちらも2人から聞いた覚えはない。いつか知る時がくれば知る、宗聖はそんなつもりでいたので、郁美の存在を深くいぶかしんだことがない。小百合が店を任せている、それだけで充分だったのだ。
「よお、小百合は?」
「間もなく入ると思います。今日は遠方からのお客様がいらしていて、『緋月』にいきましたから」
緋月は小百合がひいきにしている料亭だった。季節のメニューが変わるたびに宗聖も付き合わされてよく出かける、この界隈では最も高級な店だ。もちろん政財界の大物も来る。お忍びや人目を避けての会合にはもってこいの場所なのだ。
「どうぞ先にやっててくださいと、伝言を申し付かっていますが?」
郁美は年下であるはずの宗聖に丁寧な言葉遣いをする。バーテンと客である関係を何があっても崩さない頑固な一面はいまだかつて覆されたことはない。悟もこんな感じになるのかな?といつも思うことを思い浮かべながらカウンターの端に腰をおろした。
「ふむ、じゃあちょっとだけ酒をもらうかな」
葵を部屋に送り届けた宗聖は、自宅に戻り車を置くと、タクシーを呼び店に出向くのが日々の習慣になっていた。葵と深くかかわる前は、早い時間から飲むことも多々あったが、今では葵を送り届ける夜のわずかな時間がとても大切で豊かな時間になっている。ほんのわずかな日々の触れ合いは、宗聖を心豊かに穏やかにしてくれる。宗聖にとってはこの上ない宝となっている。葵は相変わらず下を向いてばかりいるが、宗聖にははにかみながらも微笑を向けるようになっていた。
小百合はかつて「葵を一人にしないと」約束してくれた。
既に2ヶ月が過ぎ、9月も終わるという最後の週、鎌倉はほぼ毎週襲う台風の影響で夜の街は幾分盛り上がりに欠けた感があった。だが夏場の賑わいが抜け、皆ホッと一息つきたい季節でもあり、客の少ない雨の日は、皆早々に店じまいをし、疲れを癒しにあるものは家に帰り、あるものは遊ばせてくれる店に向かう。
小百合の店に立ち寄るものは、そんな中でも特に小百合と懇意にしているものだけだったが、そこによく巻き込まれる宗聖は、小百合の配慮を有難く受け取った。
そこそこの古株たちと引き合わされ、面識を深めていき、同時に昼の世界の重要な地位を占める人たちとも親交を深めることができていた。
小百合はそれが宗聖のためになると判断したからだろうと、その気持を素直に受け入れていた。葵を守るために何かが宗聖にプラスに働くことを願っての行為だと確信してもいた。
そんな小百合が宗聖を呼び出しておいて、別の客を料亭に伴っているとは、穏やかではない。
何かがあったと容易に想像できた。が、目の前の郁美がそれを明快にしてくれるとは思えない。
仕方がないので、伝言どおり先に始めることにした。
早い時間はあまり強い酒を好まない宗聖はソーダ割りのバーボンを頼む。その辺を心得ている郁美は黙って宗聖が好むボトルを取り出し、宗聖が好む作り方をする。宗聖の好みはオールドファッションにバーボンとソーダを同量いれ、最後に大き目の氷を1つ入れる。ステアはほんの数回。小さな氷は直ぐ溶けてソーダの感触を水で台無しにしてしまうのが嫌だった。かといって氷は欠かせない。しかも氷が解けるまでの時間を一杯飲むのに費やしたくない。その結果、グラスはオールドファッションになり、氷が解けないうちに飲み干せる量が好みの分量となった。
2杯目に同じ氷は使わない。それも宗聖流だった。
バーボンとソーダの量は半々なので決して薄いとは言えないが、夜半には殆どロックで飲んでいる宗聖にとっては、必然の飲み方だった。郁美はその手順を、知り合って何年も守ってくれている。時折、珍しいボトルがはいると最初の一杯はと、ショットグラスにストレートで差し出す。その気配りもうれしいものだった。本当に唯一酔える場所なのだ。
10分もしたころ、小百合が現れた。今日は藍染めのドレスに白いレースのショールを手にしている。
宗聖がグラスを持ち上げて挨拶をしようとしたとき、小百合がドアを押さえ招きいれた女性に目を奪われた。黒い美人・・・黒い絽の和服に黒い髪、黒く輝く双眸。黒衣の貴婦人と言う絵を思い出した。日本画ならなんと喩えるだろう。黒い華?黒薔薇か黒椿か?そこまで想像してハッとした。
宗聖は立ち上がった。
小百合は紹介もせずカウンターに入る。残された女性はひるむことなく宗聖の前に進んだ。
宗聖もまた黙ってその女性の前に立った。
「良く似てらっしゃること」
深幸が微笑んで宗聖を見上げた。背の高い深幸は秋芳よりやや背の低い宗聖を、それでも見あげた。いつものハイヒールならば、たぶんそんなに苦労なく宗聖を見ることが出来ただろう。
「熱海から・・・」
「ええ、深幸です」
「あえてうれしいですよ。お義姉さん」
宗聖が微笑むと、深幸はニッコリと微笑み返した。
「いつか兄が話してくれました。黒百合の話を・・・」
パッと深幸が情愛のこもった表情を見せた。それでも赤い唇から発せられるのは、感情の薄い素っ気無い言葉。
「そう」
その言葉に、似合いの夫婦だと、宗聖は感じ入った。
それでも、宗聖はなぜ深幸がここにいるのか、しかも小百合が伴ってきたことに言い知れぬ不安を抱いた。
当然のことだが。
「何が・・・」
「座りません?」
一瞬不穏な思いに捉われた宗聖を、深幸が軽く受け流す。深幸の妙に余裕のある態度に宗聖は兄秋芳の顔を思い浮かべた。なんだか苦笑している兄の顔が思い浮かぶ。