晋江文学城
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22、1 秋芳(しゅ ...

  •   秋芳(しゅうほう)が熱海の嵩神会(こうじんかい)海藤組に入ったのは28歳の時。現会長でもある義父と実父との約束で、その時点で西野の家を出、海藤の正式な養子となった。
      そして組織への披露目を兼ねた宴席で深幸(みゆき)を紹介された。

      25歳の橘深幸は、黒地に朱の御所車の紋様を施した見事な振袖をまとい、長い髪は頭頂部で一つにまとめられ華やかな組紐が結ばれていた。背中におろされた長い髪はストレートで、髪に絡まるように垂らされたその組紐一つだけでも10万はくだらないであろう職人の技巧が生かされたものだと容易に読み取れた。おのずと振袖そのものも数百万単位であろうことは、見合いという設定を考えれば想像に難くない。がそのどれもが深幸の美しさを引き立てる小道具にしかなっていない。黒く輝く瞳も筋の通った鼻筋も、そして紅く彩られた唇にも、その自我を持った強さがにじみ出ていた。ただ周囲にはその強さを抑え、匂い立つような美しさのみを見せていた。

      深幸は間近に立つと秋芳との身長差が気にならない背の高さだった。
      だからこそ、秋芳は深幸の強さをその瞳に見止めることができた。
      深幸は海藤の父がそれと決めてその日、その場に居合わせた。
      秋芳は海藤の意向とは別に深幸の強さを欲しいと思った。

      半年後、秋芳は深幸と結婚している。
      翌年長女が生まれ、2年後長男も生まれている。
      秋芳が思ったとおり、深幸はしなやかで強く、組の姐としてもつつがなく過ごし、義父への配慮にも礼を欠かさないよく出来た妻と言えた。
      秋芳の心を強く掴んで離さない妻でもある。

      結婚式を1週間後に控えたある日、秋芳は深幸に呼び出された。場所は小田原駅前のシティホテル。深幸は背の高さを強調するようなストレートラインの濃紺のワンピースを身につけ、髪は和装の時と同じようなポニーテールにしていた。背中の中ほどまで届く黒髪はストレートで美しく、目鼻立ちのハッキリした顔と相まって、近寄りがたいイメージがある。深幸は黒百合だな。秋芳は深幸の佇まいをみてそう評した。

      深幸は秋芳に直に触れたいと思ってここに呼び出した。婚約したのだから二人は時々食事をしに出かけたりしてはいたが、長時間2人っきりになることがなかった。当然のことながら秋芳の人格、人間性に触れることもないし、その片鱗を感じさせる何かを見出すことも出来なかった。
      結婚は、以前から決められていたこと。見合いというかたちで対面した宴席は周囲への形式的なアピールに過ぎなかった。今更取り消しが出来るような事柄では全然ない。
      それでも深幸は秋芳自身の心情を知っておく必要があった。形だけの妻が欲しいのか、心も預けてくれる人なのか、を。

      それがなぜ挙式前である必要があるのか、と自分にも問うた。その結果は決して夢うつつに舞い上がって迎えるべき式典ではないからだ。どこまで覚悟を決めて入らねばならないのかを、きちんとわかっておきたかった。

      秋芳はダークグレーのビジネススーツのようないでたちで現れた。いつものスタイル。白いシャツ、エメラルドグリーンとネイビーのストライプのネクタイ。ポケットにはエメラルドグリーンのチーフ、ネクタイピンはしていない。カフスはゴールドの飾りボタン。
      秋芳は派手なスーツを好まない。というか190cm近い長身で、骨格に張りがあり威圧感のある体型と、超がつく2枚目ぶりの顔では派手な色柄が浮いてしまう。抑えた色合いが秋芳をより強く見せている。

      恐らく組の奥方達は何とかして秋芳に近づこうとしたに違いない。夫がいても秋芳の愛人になれれば、充分な力を持つことができる。それが無理ならば、娘やら姪やらをどうにかして秋芳に気に入らせようとしたはずだ。
      だが、秋芳はそのどれにも関心を示さなかった。健康な男性が海藤に入ってほぼ半年以上女っ気なしでいることになる。それともどこかにお気に入りの芸妓でも囲っているのか。

      秋芳は仕事柄、熱海の芸妓とはみな一通り顔見知りになっている。なにせ、屋形の総元締めなのだから・・・。
      そんなあらゆる可能性を考えながら、深幸は秋芳を呼び出した。自分の夫となる人物との距離を正確に把握しておくために。

      「何か?問題でも?」
      15階建てのホテルの13階、スイートルームの1室で深幸は待っていた。秋芳を招きいれ、ソファをすすめると、立ったまま秋芳の問いかけに答えた。
      「いいえ。」
      「ではどうしました?」
      「秋芳さん?本当に私で宜しいのですか?」
      「何故ですか?」
      「私、処女ではありません。」
      「それで?」秋芳はなんだそんなこと、といいたげな言い方だった。
      「恋人がおりました。」
      「その相手とは?」
      「別れさせられました」
      「後悔しておいでですか?」
      「いいえ、その時はそう思いましたけれど、今はそれで良かったと思っています。」

      秋芳はいぶかしげに深幸を見返した。
      わざわざ男性経験があることを言うためにこんなところまで呼び出したのか?と言いたげな顔。これが組織の誰かと会話している時ならば、秋芳は決して考えていることを顔に出さない。

      深幸はその顔を見守った。深幸には秋芳が表情を変えたということだけで十分だった。
      ソファに座る秋芳の前に立ち、見下ろすようにして会話の続きでも話すかのように何の抑揚もなく告げた。

      「秋芳さん。私を抱いてください。」

      深幸の言葉に顔を上げた秋芳は、深幸がかすかに微笑んでいるのを感じた。瞳は強い自我を示したままだし、その顔には決して羞恥心も表れていない。ただ、今日はピンク色に塗られた唇の端がモナリザのごときアルカイックスマイルを浮かべた。それも一瞬だけ。
      秋芳に見せるためだけの一瞬の微笑み。

      深幸は秋芳が行動するのを待った。秋芳も深幸に向けて一瞬皮肉っぽい笑みを浮かべた。どうやら了承の返事らしい。その笑みを確認した後、深幸はクルッと向きを変え、ベッドルームに向かった。後ろで秋芳がネクタイを解くシュッという衣擦れの音がした。

      ベッドルームにはクイーンサイズの大きなベッドがあり、海に面した張り出し窓にはオーストリアンスタイルのたっぷりとドレープをとったレースのカーテンがかけられている。床に敷かれたカーペットは白、足が沈み込むような感触。ベッドカバーはレモンイエローの生地に金糸とダークブルーの花柄が刺繍されていてゴージャスな雰囲気を醸し出している。そして外光をさえぎる為の朱とモスグリーンの織地が艶やかなカーテンを閉めようとリモコンを手にしたとき、後ろから秋芳に肩を抱かれた。

      「君は、若いくせに小気味の良いことをしてくれるな。」
      「貴方と3歳しか違わないわ。」
      「そうだが・・・。」
      「ご迷惑?」
      「いや。今まで以上に気に入った。」
      「そう。」
      「遠慮はしないぞ。」
      「私は貴方の妻になるのではなくて?」
      「ああ、どうせ逃げられない運命だ。」
      「ではその運命に従います。」

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